これも金沢主計町の坂です。
狭い路地の軒が重なり合うようにして建つ家々(料亭、揚屋なのでしょうが)が魅力的です。そして坂と一体化している左側の建物。鉢植えの植物も、「ガーデニング」などという外来語とは無縁の、正しい昭和の暮らしの風景です。
戦後、昭和20年代から30年代にかけて、日本人の平和への思いは強く切実なものがありました。日本の各地に平和を願う塔や彫刻、モニュメントや石碑などが建てられました。その「思い」は、昭和という時代を越えて大切にしたいものですが、いつしか平和の塔そのものが、そうした「思い」の慰霊塔になったような錯覚を覚えます。切実であると同時に、本当にそれを実現させようとする意志や、平和への希望も本当にあった時代。確かに日本はその後平和と繁栄を経て衰退に向かっていますが、世界に目を転ずれば平和とは希望であるよりはある歴史的な気分のようにも思えて来ます。
改めて、日本の数知れぬ平和のモニュメントを写真に残し、可能であればその建立の背景や、建立に携わった団体や個人のその後についても検証してみる必要があるかも知れないと思っています。
ところは原宿、向こうに走っているのが山手線、そして手前がいわゆる宮廷ホームです。天皇・皇后・皇太子などが乗るお召列車専用のプラットフォームで、2016年に開業110周年記念で一般公開されたことがあるようですが、今は見ての通り荒れ果てています。適荒を越えているかも知れませんが、都会の真ん中だけに趣があります。ちょっと場所も時代も飛び越えた異境の雰囲気を感じて私は好きです。
元麻布のとある小さな通りで撮った一枚です。
前景の民家と背景の高層ビル(森ビル系ですね)との対比が、アジアのどこかの国の首都にありそうで、日本もアジアであることを痛感します。この辺りを散歩するのが好きなのですが、昭和を感じさせるものは確実に減っています。当たり前ではあるのですが、代わりに建つものがものすごい高層ビルや、明らかに富裕層しか住めないようなマンションや住宅だったりして、同じ時代に生きているのに違う世界の人たちの町になっていることに驚かされます。