昭和の残像

旅先でふと気になって撮った写真をモノクロに変換すると、不思議と昭和を感じさせてくれるものになることがあります。 そんな写真を簡単な説明とともに載せていきます。

渡月橋

 ずいぶん前に、夕闇迫る冬の嵐山で撮った写真です。

 京都に関するアンビバレンツは「好き」に傾くときと「嫌い」に振れるときが交互に訪れます。今は少し「嫌い」に傾き始めた感じです。ちなみに、パリは絶対そういうことにはならず、いつも「好き」です。

 

嵐山夕景

 

沈む町の底へ

 麻布台ヒルズが建設される前の、霊友会を背にして崖下の通りへと降りる坂の上から撮った写真です。2017年12月のものです。翌年4月に再度訪れた時には、住宅街は丸ごと取り壊され、工事が始まっていました。今は恐らく変わり果てた姿になっていることでしょう。

 あの辺りはバブル期の地上げにも耐えた、戦後の東京のごく普通の庶民的な住宅街が最後まで残っていて、大好きな場所だっただけに残念です。森ビルグループは東京から昭和の面影を消し去ることにかけては極悪非道です。

 泉ガーデンタワー周辺も、超芸術トマソンで有名になりましたが、あれができるまでは何とも懐かしい景色が広がっていたのです。こちらは住友系のようですが、坂の多い港区の谷地は、高層ビルが建つと本当に谷底の村のような感じになることが、写真からもわかると思います。山の手の崖の下にある庶民の街という東京の原風景も、今のうち写真に残さねばならないもののひとつなのです。

底へ

参考までに、2018年4月の写真を追加します。

下の写真の右上の三角屋根の建物(外交史料館)が、上の写真左上の建物です。つまり下の方から反対側を向いて撮ったことになります。「根こそぎ」家がなくなっているのがわかります。白いフェンスに覆われた迷路のような道になっていました。

谷底

 

台座

 石が続きます。

 掃部山公園にあった石の台座です。その上に銅像か何かがあったのでしょうが、恐らく戦時中の供出でなくなってしまったのでしょう。わさわざ台座を壊すのもお金がかかるので、日本国中結構こういうのが残っていますね。まさに昭和の残像としての、消えた銅像…。

 しかし、実を言えば私の興味は台座そのものにありました。歳月を経た石の台座が持つ、テクスチャーや肌ざわりのようなもの、素材感の違いといったものに惹きつけられるのです。モノクロにすると、余計にその魅力が増した気がします。

台座

 

水石

 ちょっと「昭和」とは離れるのですが、今回は「水石」です。よく「盆石」と混同されますが、盆石は自然の景物に見立てるため多少なりとも作為が働きますが、水石は置き方の工夫はしますが石そのもので自然の景色を見立てます。これを知ったのはつげ義春の「無能の人」という漫画でした。だから私にとっては昭和なのです。実際、昭和40年代だったかにブームになったこともあるようです。

 今回はある展覧会で撮った水石ですが、白黒にしたら陰影がよりはっきりして驚きました。水石はそもそも山水画に近い世界を理想とするので、もとより白黒の方が似合うのかも知れません。山水、石、水墨画…。私の好きな世界です。

水石

 

イタリア料理レストラン

 横浜福富町の商店街の風景です。

 雰囲気がまったく昭和で嬉しくなります。

 イタリア料理「イタリーノ」、何とも舌足らずな感じが楽しいですね。書体もどこか懐かしい。

 もちろん、料理サンプルの陳列棚が通りに面して出ています。

 「わざと」受けるようにやっているところはたまに見かけますが、ここは「天然」です(笑)。

イタリーノ


 

農家の中庭

 柏にある旧吉田家住宅の中庭です。豪農の暮らしぶりを知る事が出来る歴史公園となっていて、見学も出来ます。

 もう5年ほど前になりますが、見学した際に撮りました。スポーツ刈りと野球帽の小学生は今どき珍しく昭和の感じがありますが、半ズボンと運動靴がやはり昭和の頃とは違いますね。それにしても門と邸内の木が立派です。旅先で公開されている古民家があるとつい入りたくのは何故なのでしょう。私には故郷というようなものがなく、懐かしいというよりは憧れに近い思いからかも知れません。

旧吉田家住宅

 

美晴荘

 蒲田にある堂々たる建物です。

 会社の寮なのだと思いますが、廊下の両側に部屋が続く昔のアパート風です。石造りの立派な門と塀、そして壁面に掲げられた家紋が目立ちます。何となく、戦国武将の足軽用の長屋のような気がして来ます。昭和の映画によく出てくるアパートというのも、最近は見かけることが少なくなりましたね。

美晴荘